wondermoony’s diary

日々思うことや好きなことを生意気に綴っていきます。

あの人は仕事ができる先輩かどうかを考える

年上には気を利かせて可愛がられている。

それが功を奏しているのか、先輩を悪く言う人は全くいない。

本当は悪く思っていても、言えない空気を作り出している。

その先輩を責めたら、可愛がっている年上たちに愚痴って、全員で団結して何かしらの仕返しができる関係性ができているから。

たしかに気が利くのはいいこと。

ただ自分のような後輩から見ても、細かいミスが多いように見受けられる。それを自分のせいにされることもある。

ただ、それくらいは許される。可愛がられているから。

反対に、ウェットな関係を好まない自分は、年上との交流に消極的。最低限の会話で済ませる節がある。

そのせいか、あまり好かれているようには思えない。むしろ悪口を言われている方だろう。

誠実に仕事に向き合って、分からないことだらけの中何とか覚えようと頑張ってはいるが、それは関係ない。

あくまで社内評価が第一。ミスが多くても印象が良ければその人が上。

では、仕事のクオリティよりも印象を良くすることを重視すべきなのか。

自分の時間を上司に使い、コミュニケーションを積極的に取り、関係を作っていく。

字面的には良い行いに見える。

ただ、今からそうしていくには、印象の悪い状態からスタートなので、最悪無視されながらでも頑張って声をかけ続けなければいけない。

しかも、上司は何十人もいるので、1人1人時間をかけてコミュニケーションをとる必要がある。

先輩は転職組。入社当時から仕事を覚えるために色んな人に聞いて回ったのかもしれない。

技術は泥臭く足で培うものなのかもしれない。その人の好きなものを調べて、時にはプレゼントしてみる。情報通になり、相手が興味を持ちそうなことで調べるのが面倒なことを調べて教えてあげる。それを会話のタネにしていく。

その辺を含めてみんな「気遣いが大事」と言っているのかもしれない。

その理屈は分かった。やってみたら面白そうなのもわかる。ただ、「気遣いを意識せよ」とその先輩から、なんなら強要されているのだ。そんなうちは手が進まないのは当然ではないのか。

関わる機会が多い人の好きなものをまとめるリストをエクセルで作ってみた。ただ、手が進まない。

「楽しそうかも!」という思いの前に「今日も落ち込むようなことを言われた。家ぐらいゆっくり休みたい」という気持ちが勝つ。

プライベートを嫌いな人のために使うのが億劫に感じる。

「仕事を楽しむ近道は、プライベートの充実」という言葉をよく聞く。

仕事も面白くないのに、プライベートも寝るだけ、休むだけだったら、命が保たない。

人生の7割が仕事。それが嫌でも、せめて3割のプライベートぐらい充実させたい。

今は仕事は仕事と割り切って、プライベートを自分本位に楽しんでいる。休みの日は比較的楽しい。ただ、心の底から笑えてはいない。仕事を楽しめるようにならなければいけない。

上司は変えられない。ただ、自分が変われば上司の反応が良くなるかもしれない。でも取り入るようなことをして楽しめる気がしない。せっかく上司の好きなものを調べて話しかけても、しばらくは反応が悪いままだろう。その期間、虚無感に耐えられるだろうか。明るい未来を想像して楽しめるだろうか。

仕事ができる、とは何なのか。取り入る力なのか。頑張って仕事を覚えるために使っている時間を、ストレス発散のための時間を、上司に使うべきなのか。先輩のような環境を作れたら、人生は楽しいのか。先輩は自分に対して当たりが強い。上司に対しては優しく楽しそうにしている。ぼちぼち退職するらしい。あの人は幸せなのだろうか。