私は自分自身で
意思を通す場所とそうでない場所を分けるようにしている。
例えば、家族や恋人、気の合う仲間など
一緒にいて心地の良い人に対しては
自分の考えを素直に伝えるようにしている。
逆に、会社の人や仕事上で関わる人、関係が浅い友達など
自分にとって心地が悪い環境を作る人、もしくは
どうでもいい人と関わるときは
自分の意思を特に表さず、
基本的には相手の意思に従うようにしている。
この違いは、何なのか。
私個人の考えは以下の通り。
①人との争いが面倒で、そんなことに体力を使いたくない。
気が合わない人とは、主張しあえば争いが絶えなくなり、
考えなくていいことまで考える時間をつくらなければいけなくなる。
→無駄。
②争いたいと思うほど、その「議題」にこだわりがない。
好きなことや好きな人に対してだったら
自分の思いを伝えたいと思うが、
興味のない人・嫌いな人に伝えたいことは何もない。
③過去に主張したら、暗黙の「黙って従え」攻撃を受けた経験がある。
1年前は誰に対しても自分の主張を曲げないように意識していたが、
当然衝突が多く、自分からストレスを迎えに行っているようなもので
ついには「扁桃炎」という人生で最大の病気になってしまったため、
「これはよくないな」と思い、主張をやめるようになった。
④意思を通さなくても、収入は変わらないし、生きていける
今勤めているのは、昔ながらの慣習にこだわっている会社であるため、
頑張ったところで上司の手柄となり、ミスに限っては自分の責任になる。
この環境で「上から認めてもらいたい」とは思えないし、
それよりも自分の信じたものを貫きたいと思う。
⑤主張したいほど、現状に不満がない。
④と同様で、何も主張しなくても給料はもらえるので、
どうでもいい環境では楽して生きていこうと思う。
大学入試の傾斜配点でいえば、今の会社は30点満点くらいに設定したい。
そこに割かなかった分、趣味や大切な人間関係は
300点満点くらいに設定し、そこに特化して全力で頑張りたい。
⑥主張する前にお手本を見て学びたいし、
おかしいと感じてはじめて主張するようにしたい。
何もわからない新人が自分の意見に対して
「ここはこうした方がいいんじゃないですか?」と
言ってきたら、当然腹が立つだろう。
「新人のお前に何が分かるんだ」と思うだろう。
それを考えたら、主張しないのは合理的だし、成長が早いと考える。
「学びの語源は“真似び”」という言葉があるように、まずは模倣からだ。
⑦「今の仕事は全く楽しくないし、趣味のために金を稼ぐところ」
と主張したところで、自分を含め誰も得をしない。
それを言われた人は何と返答したらいいかわからないだろうし、
私のイメージは「この会社にいたくない人」となってしまい
会社での立場はかなり窮屈になってしまうため、
私自身にもメリットがない。
⑧「愚痴は全く生産性がないし、言ってる奴は甘えているだけ」
と言おうもんなら、世間のほとんどの人を敵に回すことになる。
人はみな(ほとんど)、現状に不満があり、
それを気の合う仲間同士で「愚痴」として吐き出し合い
慰め合うことで、正常なメンタルを保って生きている。
私にはそれをダメだという権利はないが、
自分はそんな人間になりたくないし、
「みんなが楽しいと思っているものを共有し、
“憧れ合える”」人間になりたいと思っているので、
愚痴は言わないようにし、
不満は、趣味など別のかたちに昇華するように心がけている。
これらの8つの理由から、
私は人との関わり方を
その親密度によって変えている。
「誰とでも分け隔てなく付き合わなければいけない」
という教えもあるが、
それは、表面上だけで良いと思う。
だって極端な話、
「この人は殺人の前科があります」と紹介されたら
まともに目を見て話せない人がほとんどだと思うし。
だからこそ、
嫌いorどうでもいい人には主張しない
という関わり方は、
表面上で平等につきあう上で
かなり有効な方法だと思う。