wondermoony’s diary

日々思うことや好きなことを生意気に綴っていきます。

「自分基準」にしなきゃいけない理由

そもそも、なぜ人は人に対して

「好意」を持ったり

「嫌悪感」を抱いたりするのか。

 

それは、人間本来の「欲望」がそうさせるから。

 

「この人と一緒にいると楽しい」

「この人は自分を成長させてくれる」

そんなふうに思えたら、

時間を使ってでも一緒にいようとする。

 

逆に、

「この人と一緒にいるとイライラしかしない」

「この人と付き合うメリットが何も無い」

と思えたら、距離をとろうとする。

 

単純に、無意識の「欲望」のみで人は動く。

 

「こいつまだまだ若いから、

距離をとって未熟さに気づかせてあげよう」

「嫌いだけど、あえて近くにいよう」

と考えて動く人は全くいないだろう。

そこまで究極に冷静な人はいない。

 

ゲームでいう「COM(コンピュータ)」が

自分以外の人全員、

1P(1プレイヤー)が自分とすると、

COMの動きは、ここまででだいたい分かっただろう。

 

では、1Pである私はどうすべきか。

 

 

 

実は、COMと同じでいいのだ。

 

 

つまり、

なんとなく好きな人に近づいて、

なんとなく嫌な人とは距離をとる。

 

これだけでいい。

 

なぜか。

 

 

 

 

大事なのは、

「お互いにメリットのある関係」

だから。

 

 

 

 

これは、計算して人付き合いしろというのではない。

お互いの欲望に従って、相手を選ぶだけで

楽しく感じる日が増えるのだ。

 

 

例えば…

Aさんは、私としゃべるときトゲのある言い方をする。

でも、AさんがBさんとしゃべるときは

ものすごく楽しそうにしゃべる。

うらやましい…

私もあんなふうに楽しく会話できたら…

 

そう思うことがあるかもしれない。

でも、あなたはAさんと楽しく会話する必要が

そもそもない。

逆にあなたがとるべき判断は、

「Aさんは私にメリットを感じていない。

だから、距離を置こう。」

これなのだ。

これが、お互いにとってプラスな結末なんだ。

 

自分を嫌っている人は

自分だけを嫌っているわけじゃない。

だから、その人に無理にすがる必要はない。

 

あなたに嬉しそうに話しかけてくれる人が

今ゼロ人だという人。

孤独を感じている人。

…まだ焦らなくていい。絶望しなくていい。

 

必ずあなたに合う人が現れる。

その人を探すのが

人生という「ゲーム」なんだ。

出会えるまでは

のんきに寝たり食ったり遊んだりして

別のことで楽しめばいい。

「俺が正しい」と思えば楽になる。

お前の言う正解が、俺にとっての正解か?

俺が正しいと思うことが、お前にとって正しいことか?

どちらも違う。

 

俺が思うことが、俺にとって全て正しい。

お前が思うことが、お前にとって全て正しい。

「正解」とは、それぞれ各個人の中で完結するんだ。

例えそれが犯罪だったとしても、それがそいつにとっての正解だったから、行動しただけ。

逮捕のニュースを見て、「これは正しくないでしょ」と思ったら、自分は実行しなきゃいいだけ。

 

どうしても不安だったら、「こうしたらいいと思うんですけど、どう思いますか?」と他人の意見を参考に(❌鵜呑みに)してみればいい。

 

そうなると、もう人の意見とかどうでもよくなるよね。

気楽に生きてけば良くね?みたいな。

 

俺は今、この歌みたいに生きてます。

奥田民生「イージュー★ライダー」

https://m.youtube.com/watch?v=Mg7rtAWKdok

歌詞はこちら。

https://sp.uta-net.com/song/9196/

面白さのカギは「逆」。

1つの文章があるとして、

その文章が当たり前の内容だった時に

これを面白い文章にするには、

思っていることと「逆」のことを言えばいい。

 

例えば、遅い車に対して

「30キロで走んなよ」

と言うのは、普通の文章。

普通すぎて、ただ空気が悪くなる言葉だ。

 

そんなとき、この文章を「逆」にしてみる。

「30キロも出しやがって」

→「遅い」と思っているのに対して、逆に「早い」と思っていることにする。

これを聞いた相手の頭には「いや、30キロ“しか”でしょ」というツッコミが思い浮かぶ。

 

普通のことを言ってウケるのは、自分がツッコミの立場の時。

ボケてウケるのは、逆のことを言った時。

 

システムは、シンプルだった。

捨ての10年

何をやっても良い評価が得られない時は、

思い切ってこの先の10年を「捨てる」選択を取る。

 

どうせ何言ってもつっかかってくるんだろ?

だったらテキトーにやりますよ。

ってスタンス。

 

その代わり、やりたいと思ったことを自由にやる。

文句は言わせない。

 

仮に文句を言われても、

「今自分、捨ての10年なんで。」

「評価とか求めてないんで。」

って言える。

 

そしたら、いくらか自由になれる。

「捨ての」10年ってタイトルにしてるけど、

自分の中では、実は捨ててない。

他の人に聞かれたら「捨ての…」って言えばいいだけで、

自分では「やりたいことを自由にやる10年」というタイトルをつけておく。

「与える」と「求める」

与えられたら、返したくなる。

でも、

求められたら、逃げたくなる。

 

これは、どんな場面にもあてはまる

人間のサガ。

 

これを理解しているかどうかで、

人生がうまくいくかどうかが

大きく変わってくる。

 

求める人というのは、

結論からいえば大したことがない人だ。

それはなぜか。

 

求めるという行為がなぜ起きるのか。

それは自分が与えたと思う分を

相手から返してもらっていないと感じるからだ。

 

ということは、

「自分はそれだけ与えたのだ」

「自分がやれるべきことはやった」と

思っているから、求める。

 

現状の自分を顧みて、

「十分に達成できている」と思っている時点で

伸び代がないのは明らか。

 

高尚な人ほど

歳を重ねてからまだまだ学ぼうとする。

しかも、自分よりも若い世代に教えを乞う。

 

まだ若いうちから

人に求めるようなタイプからは

学ぶことはそこまで多くないだろう。

 

先輩や上司から

「もっとこうしてほしい」

「なぜこうしないのか」と問われたら

それは、尊敬に値しないという見切りを

つけるべきタイミングなのかもしれない。

 

口でそういうのは簡単。

自分も若くまだまだできていない。

 

だからこそ、

下の世代には「求める」のではなく

「与える」ことができるように

心がけていきたいものだ。

 

人間性と寛容性

普通の人は、自分に不利益があると不満を持つ。

でも自分はわりとそこに寛容なところがある。

そこで、周りの人との距離が生まれる。

 

通常の感情で会話ができないから、意思の疎通が取れない。