wondermoony’s diary

日々思うことや好きなことを生意気に綴っていきます。

人生、正の数直線ですべて測れる説

めちゃくちゃ憎いと思う人に

感謝したことはあるだろうか。

 

ぼくは、さすがにまだないが、

できるのではないかと

大学時代にふと考えたことがある。

 

どんなに憎くても

ぼくに有益な部分があるのではないか。

むしろ憎ければ憎いほど

そいつを利用できるのではないかと考えた。

 

たとえば、ぼくがある人Aにひどいことをされたとする。

客観的にも、だれが見てもひどいこと。

いじめ、暴言などがそれにあたるだろう。

 

普通だったら、ぼくはAに対して

強烈な怒りの感情と悲しみの感情を抱くだろう。

自分のふがいなさに

絶望もするかもしれない。

 

そして、同僚や彼女、家族などに

愚痴をこぼし、

夜は1人アパートでやけ酒、

枕を濡らすだろう。

 

そんな状況を見て、

周りの人はどう思うだろうか。

 

やさしい人は

「かわいそうに」と思ってくれるだろうが、

ほとんどの人は

何も感じないだろう。

 

自分の事で精いっぱいで

みじめな状態のぼくには

構っている余裕がない。

 

となると、

今度ぼくはどう感じるだろうか。

 

ぼくがみじめなだけじゃん。

良いこと、プラスのことが全くないじゃん。

そう思うのではないだろうか。

 

そうなってくると、

誰かもっとぼくを幸せにしてくれよ!と

他力本願になり、

こちらから人のために行動する余裕がなくなる。

・・・悪循環だ。

 

 

現時点で、ここまでの

最悪な未来が見えている。

となれば、どうすれば

悪循環の根源を止められるだろうか。

 

憎いAに対する怒りを

別の方向に向ければいいのではないか。

 

通常、Aへの怒りは素直にAへの怒りとして

吐き出すところを、

Aへの感謝、あるいは

後輩Bへの慈愛に

変換することができるのではないか。

 

【Aへの怒り】

→自分の意見を一方的にぶつけてきてんじゃねえよ!

 自己中なのが自分でわかんないのかよ!

 

これを

 

【Aへの感謝】

→Aの理不尽さに、ぼくが冷静に対処すれば

 Aは理不尽な上司、ぼくは寛大でデキる部下というように

 客観的には見える。

 Aは自分を犠牲にしてぼくの評価を上げてくれた。

 ありがとう。

 

【後輩Bへの慈愛】

→Aは理不尽だし、絶対に許せないけれど、

 ぼくはAのような上司にはなりたくないから、

 後輩のBには優しく接することにしよう。

 そうすれば、

 「あいつ、Aからひどい仕打ち受けてたのに、

  Bにはめちゃくちゃ優しく接してる。

  あいつ、すごいな」

 と評価されるだろう。

 Aの理不尽さはみんな知っているから

 これを利用して、ぼくの評価UPにつなげよう。

 

・・・こんなふうに変換してみたらどうか。

 

そんなことできるの?と

感じる人もいるかもしれないが、

ぼくはできると信じて

大学時代からそのマインドを大切に生きてきた。

 

まだまだ、どうしても

怒りが湧いてくることがあるが、

ある程度の理不尽に対しては受け身をとれるようになり、

ストレスを最小限に抑えることができている。

ここまで5年以上かかってしまったが。

 

受けたマイナスなパワーを

プラスに変換し、解消する。

これが、

「正の数直線理論」である。

 

「私、全くいいことないな」

「自分ばっかり損してるな」と

感じている人がいたら、この考え方を実践してみてほしい。

 

幸せは自分でつかみ取るもの。

そして、八方美人では誰も得をせず、自分だけが損をする。

 

攻撃をしてくる人以外に対してだけでも良い人なら、

それで十分やさしいと思う。