wondermoony’s diary

日々思うことや好きなことを生意気に綴っていきます。

分かった分かった、効率な。それだけやるから他よろしく、先輩方!!

うだうだ悩んでるから気に障るんだろ?

分かったから!全部先手先手、効率だけを考えて進めるわ。目覚めたわ、そういうことか。

 

情緒とか人間的なとかそんなんいらん。

その辺は先輩方がなんかアイデアくれや。

とにかく何もかも早く終わらしたったらええねん。

それでみんなスッキリするんよ。

 

例年はどうしてる?とか

みんなはどう思う?とかよりまず

俺はこうすればいいと思うけど文句ある?

って進めてけばいい。

 

俺「こう思うからこうするよ?」→他「この方がいいんじゃね?」→俺「おけ、それでいこう」

ここまで15秒

 

俺「うーん…」→他「…」→俺「みなさんはどう思います?」→他「○○とか○○とかあるけど…あとはお前の好みだからな…」→俺「うーん…そしたらこれにします?」→他「でもそれだと○○になっちゃうよね?」→俺「うーん…じゃあこっちですか?」→他「お前が良ければこっちはそれで問題ないよ」→俺「じゃあそれで」

ここまで2分

 

8倍時間かかっとるがな。無駄以外のなんでもないわ。

 

モジモジ…みたいなんいらんねんみっともない。

ノータイムで意見を言え!

考えなくても出てくる言葉がお前の実力なんだよ。

考えても出てくるものは一緒。だったらスピード重視だろ。それ以外にない。

異論は受け付けない。以上。

 

人は皆「説得力」のために努力しない

「人のために」と言ってる奴が

自分本位なように、

人が人に「指導」するとき、

たいていは説得力を伴っていない。

 

「常に気を回してゲストをおもてなしせよ」

これを「説得力」をもって発言できるのは

ゲストになった経験が深い者たち。

常にアテンドする側の人間は、

本来このような指導をしてはいけない。

 

ゲストの気持ちを

本当の意味で理解できていないからだ。

 

もちろん「ゲスト」という漠然とした定義のなかで話すとすれば、

「ゲスト」になる経験は何度もあるだろう。

ファミレスの客、パーティーの参加者、学校の生徒…この辺りは「ゲスト」といえば「ゲスト」に当てはまる。

 

ただ、その立場の時に、

感動するようなおもてなしを

受けたことはあるか?

 

順番待ちが長い、魅力的なイベントがない、先生から暴力を振るわれる…

大抵の場合、「ゲスト」として自分が受けた“おもてなし”は、皮肉にもこのようなケースが多いだろう。

 

そんな経験を踏まえて、

「最高のおもてなし」というものを理解できている人はどのくらいいるのだろうか。

 

「分からないなりに何とかしてやるんだよ」

「若いうちは我慢が必要なんだ」

そんな指導をする人もいる。

 

そんなこと口にしなくても、

背中で見せてくれれば憧れるのに…

と思ってしまうが、

背中で見せられるほどの実力者は数少ない。

 

未熟な自分の目の前に現れることはそうそう無いのだ。

 

となってくると、言葉で指導されたときは

「はい、分かりました」ととりあえず言って、

その場をしのぐだけなのだ。

後輩のそれに気づいていないのか、

見て見ぬふりをしているのか知らないが、

現状を変えようともしていない。

「貸し」の大きさ=得られるものの大きさ

人類は結局、貸し借り。

 

何かをしてあげたら、

同じ分だけ返ってくる。

 

何かしてほしいのであれば、

先に貸しをつくるのはこちら側なのは当たり前の話。

あとはその貸しの大きさによって

得られる成果が比例して現れる。

 

友達になりたければ、

何かを教えたり、買ってあげたりする。

与えたものの大きさによって、

親友度が変わってくる。

 

逆も然りで、

奪った分だけ奪われるのだ。

なぜ怒りにくいのか

自分より下の人間を見ると嬉しくなってしまうから。

その安心感なのかもしれない。

 

若いうちは色んな不安がある。

自分がどれだけやることやれているのか、

どれだけ人に貢献できているのか、

それが気になって仕方がない。

 

その不安を解消するためには

自分が「うまくやれている」と思えるきっかけがどうしても必要だ。

 

きっかけは意外にも日常にかなりの数転がっている。

もちろん褒められること、結果に現れることもそのひとつだが、それらはなかなか体験できない。

人を褒めるというのは、

自分に自信がある人でなければできないから。

自信に満ち溢れている人はごくわずかで、

かなり年上か地位が高い人に限られる。

 

でも、一般社会に生きる人たちは

自分と似たような境遇の人と関わる時間が長く

なかなか高尚な人と話す機会が少ない。

自尊心を満たすチャンスが少ないのだ。

いや、実はそんなこともない。

 

なぜか。

「マウント」という文化があるからだ。

 

社会の中では

「自分の方が優れている」と相手の気持ちを煽る

マウントの取り合いが絶え間なく行われている。

一見褒めたような物言いでも

それが実は自分のアピールに利用しただけ

というケースはよく見かけるのではないか。

 

「マウントって相手にけなされるわけでしょ?それでなんで自尊心が満たされるのよ?」

と思う人もいるかもしれない。

でも、それは違う。

 

話は変わるが、

クマが人を襲う理由は知っているか?

「弱肉強食の世界だから」ではない。

「自分の子供を守るため」だからだ。

 

クマは、不安なのだ。

いつ人間によって子供が襲われるか…

そう考えてビクビクしている。

いざその場面になれば、身を挺して子供を守ろうとする。

それが結果的に「クマにひっかかれて重傷」となるだけで、

気持ちではクマの方が負けている。

 

人間界でも同じことが起きている。

 

マウントを取ろうとする者、

それは自分が劣っていると自覚している者だ。

 

とすれば、だ。

自分が誰かにマウントを取られたとする。

そのとき一瞬イラッとするかもしれないが、

相手より優れているということが

そこで確認できるわけだ。

相手が勝手に負けを認めてくれるのだ。

 

こんなに嬉しい状況は

なかなかないのではないか?

 

嬉しいことにマウントを取られる機会は

おかげさまで結構ある。

信号待ちをしていて、店から出てきた車のジイさんが

「出るから道開けろ」と言わんばかりのクラクションを鳴らしてくるとか、

「俺は○○大学を卒業した」と私よりも上のレベルの大学名を言って自慢する人とか。

 

でも、それが言えたから人間的に上か?

と言われれば、そんなことはない。

むしろそれを言わなければ自分の価値が見出せないほど

切羽詰まっている状況だということが読み取れる。

 

私はマウントを取る人に出くわしたら

優しくしてあげるように心がけている。

自分よりも立場が弱い人間だからだ。

人に優しくできる人、人を褒められる人が

人徳の高い人間なのだ。

 

悲しいことに、

私の周りには人徳の高い人間は少ないが、

だからこそ自分が高い位置にいられていることを

嬉しく思い、

そんな人生を送れていることに大いに感謝している。

 

まだまだ自分に余裕はないが、

いずれ人を褒められるような人間になれたらいいなと思っている。

 

ということで、

今日も穏やかに生きている。

 

お前の方が

「お前これくらいできないと、新人の○○くんと一緒だぞ!」

 

お前は40代にもなって

その程度の言い方しかできないのか。

 

お前は新人の○○くん以下だな、人間として。

新人の方がまだ素直でいいわ。

 

怒った方が成長すると思って言ったのかもしれないけど、

申し訳ありません、

あなたのことを「子供みたいな大人だな」

としか思えませんでした。

 

言われたことの中には

確かになと思えることがいくつかあったので

そこは気をつけようと思います。

でも、ごめんなさい。

只今から随時、見下しております。

不満が生まれる瞬間

こんな光景をよく目にする。

上司が部下を呼びつけて、一方的に叱る。

しかしこれは、私からみれば

どうも不自然なのだ。

 

通常、「不満」が生まれた瞬間、

不満を「感じた本人」と

不満を「向けられた相手」の

双方に責任が生じるからだ。

その責任は、ちょうど50:50。

どちらが悪いということは絶対にない。

 

どんなに相手が無能でも、だ。

無能である所以は、指導者の指導力不足にある。

指導者が無能な会社に勤めている、あなたが悪いのだ。

不満なら、さっさと理想的な仕事を始めればいい。

できない?なぜ?

それはあなたに退社する勇気自信能力がないからでは?

ほら、あなたに3つも責任が生じている。

 

 

 

人がなぜ不満に思うのかといったら、

「自分が正しいのに、相手が間違ったことをしている」

と感じるからだ。

逆に、なぜ不満を持たれるかと言ったら

「相手の正しさにそぐわない行動をしている」

と感じられるからだ。

 

しかし、ここにも違和感が。

「正しさ」って一体何なのか。

仮にはっきりと自分の正しさを主張できたとして、

それは何によって保障された正しさなのか。

 

例えば。

Aさんが、Bさんに挨拶した。

Bさんは、会釈をするだけで去っていった。

AさんはBさんに対して

「なんて無愛想な人だ。挨拶されたら、挨拶を返すのが、人間として当たり前だろ。」

と思った。

この場合、AとBどちらが正しいのか、

はっきりと答えられる人はいるのだろうか。

 

おそらく、多数決でいけば

Aが正しいと思う人が多いだろう。

それはなぜかというと、

皆、「常識」という基準で考えるからだ。

 

でも、一度考えてほしい。

「常識」とは、何なのか。

六法全書のどこに記載されているのか。

世界で統一された決まりなのか、

日本国内でのみ適用される決まりなのか。

 

この問いに答えられる人はいない。

なぜなら、「常識」とは曖昧なものだから。

人それぞれ基準があって、

誰かと全く同じ「常識」を持つ人はいないのだ。

 

それに気づいていなかったのであれば、

今覚えてほしい。

でも、それを知っていたのであれば

「常識」という基準で考えるのは、なぜ?

「知っているけど自分にとって都合の悪いもの」を

見て見ぬふりをして「Aが正しい」とか言っているのか?

 

結局、不満というのは

感じた本人の「怠慢」なのだ。

自分が正しいから、考えを改める必要が無い。

相手が変わる方が優先。

そんな考えが根底にあるから、

一方的に叱ることができるのだ。

 

不満が発生したとき、

責任が50:50になると、先程言った。

しかし、もしその不満を

「叱る」という形で相手に伝えてしまった場合、

その比率は変化する。

 

自分の責任:相手の責任

これがなんと、

70:30、いや、100:0にもなりうるのだ!

叱るという行為だけで

自分の責任が重くなってしまう。

 

それはなぜか。

やはり、怠慢によるものだからだ。

 

双方が直すべきところ、

自分だけは何も直さない、

相手にのみ直す必要性を押しつける。

これが実は「怠慢」という形で

自己の責任に加算されるのだ。

 

私も、多くの歳上の人に会ってきて、

様々な「叱り」を受けてきた。

ということは、

自分の責任が軽くなるという経験を

何度も積んできたということ。

歳上の方が怠慢であるという状況が

多く積み重なってきた。

 

 

だからこそ、自信が持てるのだ。

 

 

相手が勝手に怠慢な人間に

成り下がってくれる。

「私は何も変えられない、どうしようもない人間だから、あなたに改善をお願いすることしかできない」

と、面と向かって話してくれる。

 

これほど自尊心が満たされるイベントは他に無い。

 

日々、怠慢な人間に会うたびに、

幸せ、とまではいかないが、

ほんの少し、嬉しくなるのだ。

 

自分に厳しく、他人に甘い。

自己評価はそんなところだが、

客観的にみれば、

自分に甘く、人に厳しいのかもしれない。

 

でも、どちらが正解とかはない。

どう考えたところで、

どう主張されたところで、

それは、その人の「常識」に過ぎないからだ。

 

理性と野生

対極の言葉。

理性が強ければ強いほど、

「オトナ」という認識である。

 

喜怒哀楽でいう

「怒」「哀」をうまくコントロールできる人は

理性が強い人。

すぐに怒ってしまう人、すぐに泣いてしまう人は

子供っぽい印象を与えてしまう。

 

何歳になっても、

この「理性」が育たない人が

世の中には一定数存在する。

 

自分がぞんざいに扱われたような“気がして”

攻撃をしていない相手に“反撃”してしまう人。

 

自分が一番辛いような“気がして”

独りになって思わず泣いてしまう人。

 

こんな人を目の当たりにした時に

多くの人は「この野郎…」と思ってしまう。

実はそれも「怒」であり、

「野生」的な衝動なのだ。

 

理性が強い人はどうか。

理不尽に怒られた時、何を思う?

自分の目の前で泣かれた時、何を思う?

 

「仕方ない」と思うんだ。

 

それは、

相手に何か事情があるから(奥さんと喧嘩中・上司から怒られた直後 などなど)とか

相手の心理を冷静に分析した結果、

そうなるんだ。

 

たしかに自分にも怒らせる・泣かせる要因が

あったのかもしれない。

でも、相手はそれを指摘するためには

無限に「言い方」があるはず。

その無限の中から「怒る」「泣く」という

選択を取ったのは、相手自身。

そこに、こちら側の非は無い。

 

つまりは、

何がどうなろうと

人生いかなる時でも「五分五分」なのだ。

 

良いことがあったら、

自分も相手も貢献したし、

悪いことがあったら、

自分と相手のどちらにも原因があったんだ。

 

 

 

 

人は平等。

生まれたばかりの赤ちゃんも

介護施設の老人も

全員同じ人間であることに間違いはない。

 

では、相手だけに責任を押し付けてもいいの?

 

相手の方が「年下だから」「役職が下だから」「給料が低いから」相手だけが悪いの?

 

「そうじゃないよね」って考えることができたら

もっと良い言い方が考えられるでしょ?

それが「理性」ある人の思考なんだよ。

 

直してほしいことがあったときに

闇雲に怒鳴り散らして威嚇するのと、

優しく理論的に教えるのと、

どっちが直してもらえる言い方だと思う?

 

「俺と付き合わないと、あることないこと言いふらすぞ。」

「あなたのこんなところが好き。僕ならあなたにこんな幸せな思いをさせられる自信がある。付き合ってほしい。」

 

あなたが女だったら、

どっちの男と付き合いたいですか?