wondermoony’s diary

日々思うことや好きなことを生意気に綴っていきます。

なぜ怒りにくいのか

自分より下の人間を見ると嬉しくなってしまうから。

その安心感なのかもしれない。

 

若いうちは色んな不安がある。

自分がどれだけやることやれているのか、

どれだけ人に貢献できているのか、

それが気になって仕方がない。

 

その不安を解消するためには

自分が「うまくやれている」と思えるきっかけがどうしても必要だ。

 

きっかけは意外にも日常にかなりの数転がっている。

もちろん褒められること、結果に現れることもそのひとつだが、それらはなかなか体験できない。

人を褒めるというのは、

自分に自信がある人でなければできないから。

自信に満ち溢れている人はごくわずかで、

かなり年上か地位が高い人に限られる。

 

でも、一般社会に生きる人たちは

自分と似たような境遇の人と関わる時間が長く

なかなか高尚な人と話す機会が少ない。

自尊心を満たすチャンスが少ないのだ。

いや、実はそんなこともない。

 

なぜか。

「マウント」という文化があるからだ。

 

社会の中では

「自分の方が優れている」と相手の気持ちを煽る

マウントの取り合いが絶え間なく行われている。

一見褒めたような物言いでも

それが実は自分のアピールに利用しただけ

というケースはよく見かけるのではないか。

 

「マウントって相手にけなされるわけでしょ?それでなんで自尊心が満たされるのよ?」

と思う人もいるかもしれない。

でも、それは違う。

 

話は変わるが、

クマが人を襲う理由は知っているか?

「弱肉強食の世界だから」ではない。

「自分の子供を守るため」だからだ。

 

クマは、不安なのだ。

いつ人間によって子供が襲われるか…

そう考えてビクビクしている。

いざその場面になれば、身を挺して子供を守ろうとする。

それが結果的に「クマにひっかかれて重傷」となるだけで、

気持ちではクマの方が負けている。

 

人間界でも同じことが起きている。

 

マウントを取ろうとする者、

それは自分が劣っていると自覚している者だ。

 

とすれば、だ。

自分が誰かにマウントを取られたとする。

そのとき一瞬イラッとするかもしれないが、

相手より優れているということが

そこで確認できるわけだ。

相手が勝手に負けを認めてくれるのだ。

 

こんなに嬉しい状況は

なかなかないのではないか?

 

嬉しいことにマウントを取られる機会は

おかげさまで結構ある。

信号待ちをしていて、店から出てきた車のジイさんが

「出るから道開けろ」と言わんばかりのクラクションを鳴らしてくるとか、

「俺は○○大学を卒業した」と私よりも上のレベルの大学名を言って自慢する人とか。

 

でも、それが言えたから人間的に上か?

と言われれば、そんなことはない。

むしろそれを言わなければ自分の価値が見出せないほど

切羽詰まっている状況だということが読み取れる。

 

私はマウントを取る人に出くわしたら

優しくしてあげるように心がけている。

自分よりも立場が弱い人間だからだ。

人に優しくできる人、人を褒められる人が

人徳の高い人間なのだ。

 

悲しいことに、

私の周りには人徳の高い人間は少ないが、

だからこそ自分が高い位置にいられていることを

嬉しく思い、

そんな人生を送れていることに大いに感謝している。

 

まだまだ自分に余裕はないが、

いずれ人を褒められるような人間になれたらいいなと思っている。

 

ということで、

今日も穏やかに生きている。