世の中には様々な価値観の人間がいる。
細かいところまで説明してもらえないと納得しないタイプ
大雑把でいいからまずは完成を急ぐタイプ
自分が楽しければ何でもいいタイプ
自分のことは後回しで誰かの幸せのために尽くしたいタイプ・・・
1つの考え方があれば、必ずその真逆の考えの人もいる。
全人類の規模でみれば、
様々な尺度ではかったときに
数直線がびっしり埋まるくらい
多くの考え方があり、
バランスが取れたグラフになるだろう。
一部では、というか、もはやほとんどの人が
考え方の違う人に対して不満を抱き、
時には衝突する(各々の意見を一方的に言い放ち、和解しようとしない)。
その衝突自体が悪いことかどうかという
絶対的な価値判断は難しい。
衝突の先に和解があるかもしれないし、
実際、世界は戦争を繰り返したのちに、今の平和がある。
ただ、私個人としては、
その衝突は無意味なものだと思う。
人間一人として、自分と全く同じ考え方の人はいない。
ある部分では一致しても、ある部分は正反対の考え方である場合も当然ある。
そんななかで、すべて自分の思い通りに相手の考え方を変えようとすることが
有意義だとは思えない。
もし、1人の考えを変えることができたとして、
世界にはまだ何十億の人間がいる。
ということは、その先人と衝突する回数は
{世界の人口-(自分+考えを変えることができた人数)}回あるということになる。
ここに割くことのできる時間は、
世界人口=70億人とすると、
仮に1人1秒で考え方を変えることができたとしても
70億秒≒233年かかることになる。
医療の進歩により、
人1人が200年以上生きることができるようになれば可能かもしれないが、
普通なら、そんなことをせず、
旅行や趣味などに時間を当てたいところだ。
このように考えると、
人に自分の意見を一方的に押し付けることが
どれだけ不毛なことかは明らかだろう。
というか計算した後から気づいたことだが、
そもそもこの計算自体が
すごく無駄な時間だったとすら思う。
まあ、この計算は今後も使うことがあるかもしれないので、
知ることができたのは、良かったのかもしれない。
では、結局どうすればよいのか。
意見が食い違った場合、
自分の意見を伝えるにはどうしたらいいのか。
「相手の意見を聞く」だけではないだろうか?
もちろん、自分の意見も聞いてもらう必要があるので、
「私はこう思うけど、あなたはどう?」
というように話す。
それでも折り合いがつかない場合は
「何が不満なのか、紙に書きだす」と
少しは気分が落ち着くことだろう。
いずれ、「人に何かを求める」ことは不毛なので、
やっている人は、早くやめるべきだ。
・・・と人に求めてもしょうがないので、
そのままでいたい人は、そのまま求め続ければいいと思う。
どんどん疲弊していっていずれやめることになるのだろうが。
私は早々にやめ、自己の研鑽に努めている。