wondermoony’s diary

日々思うことや好きなことを生意気に綴っていきます。

他の人の「キャラクター」を“利用”する

周りを見ていると、

「こんな人間にはなりたくないな」と思うことが多々ある。

でも同時に、「こんな人も世の中には必要だな」とも思う。

 

 

例えば。

人の悪いところばかりを見て、「あいつは〇〇だからクズだ」と吐き捨てるタイプ。

 

彼らはきっと、自分の悪い部分を隠し、人を批判することでマウントをとるという

目的で言っているのだろう。

 

個人的には、人の批判に時間を使うくらいなら

自分の短所を見つめなおして、改善すべきか、放っておいて他の長所を伸ばすべきかを

考える時間を作るべきだと思うので、全く参考にするつもりはない。

 

ただ、その批判的な精神が、世の中の悪しき慣習や犯罪などを未然に防ぐことに

つながると同時に思うので、

そのような考え方の人に、改めるよう注意したり、咎めたりするつもりもない。

 

 

最も大事なのは、自分がどのスタンスで生きていくかだ。

 

 

もちろん批判的な精神を持つ人の中には、

悪を正した経験があって、それが周りから評価されて

自信につながったという人もいるだろう。

それはその人にとってすごく嬉しい体験だったことが想像できるし、

意志を貫いている理由としては十分納得できる。

だから、尊重する。

 

ただし、逆にその精神をもって

僕の考え方を否定されたら、それには反発させてもらう。

人は人であって、判断するのはその人自身なので、

そこに口出しする権利は、自分以外の者には無いからだ。

 

つまりは、

「ご意見としては喜んで承ります。ただし、可否はこちらで判断します」ということだ。

 

 

世の中は、仕切る人、支える人、評価する人、関わらない人…と様々。

自分が政治、家族、仕事、趣味などのカテゴリーごとに、

どの「人」でありたいかを見つめなおす時間をつくれば、

自然と人にケチをつけるヒマがなくなっていくのではないだろうか。

 

まあでも、一生人を批判し続ける人生でもいいだろう。

その人が楽しいなら。

その代わり、僕はその人との関係において、

「関わらない人」を選択する。

そいつには「評価する人」をやらせておけばいいのだ。

 

どんな人生も尊いけれど、

自分がしたくないことは

他人になすりつけるのが賢明だろう。