wondermoony’s diary

日々思うことや好きなことを生意気に綴っていきます。

自分らしく生きるうえでやってはいけないこと

やりたいことをやるための第一歩として、

やりたくないことをやらない」を実践するのが

最短ルートになりうる。

 

しかしそこには当然

自分への批判の声が多く、

賛同する声はほぼない。

 

自分を育ててきた親、

会社の同僚、

友達、

みな批判してくるだろう。

 

大事なのは

その批判をくぐり抜け、

自分の目標へ向かう道から

脱線しないで進めるかどうか

 

いわば、バランスゲー。

綱渡りと一緒。

 

ただ、ここにルールなどない。

命綱をつけようが

誰かに手を握ってもらおうが

綱の幅を広げて、もはや普通の道にしてしまおうが、自由。

 

自分の都合で

無理やり成功してしまってもいいのだ。

 

こんなことを言うと

様々な意見が出ることだろう。

それら一つ一つをこれからつぶしていく。

 

 

Q.「他人の都合はお構いなしなの?」

 

A.他人は他人で選択している。

  「巻き込んでくれた」と思うのか、

  「巻き添えをくらった」と思うのかは

  その人次第。

 ⇒はい、お構いなしです。

  自分が気にする必要は全くない。

 

【解説】

自分の人生が

好調だったり、不調だったり、

それは環境や他人だけのせいではない。

すべて自分が原因なのだ。

 

もちろん、職場の雰囲気が悪かったり

パワハラ上司がいたりと

周りに原因があるとしても、それがすべてではない。

 

職場の雰囲気を変えようとしない自分、

もしくは、上司の言葉をうまく受け流せるよう

工夫しない(できない)自分、

あるいは、嫌なのに会社を辞めない自分、、、

すべて、自分に責任があるのだ。

 

これは自分の人生なのだから、当たり前のことだ。

そもそも、自分が「嫌だなあ」と思わなければ

不満に思うことはないんだから。

 

自分の人生を豊かにするためには

自分がやりたいように動くほかない。

 

だから、

自分は自分の都合で動く。

 

他人が自分を批判してくるようであったら、

それは、そいつが主体的に動いていないだけ。

嫌なら、離れるとか、改善案をもってくるとか、したらいい。

そいつの都合はそいつの都合。自分には関係ない。

 

Q.「自己中心的になると、人は離れていくのでは?」

 

A.離れていく人は、自分の人生に必要のない人。

  それでも近くにいてくれる人を集中して愛すべき。

 

【解説】

自分の意見を言うと、

当然ながら、賛成する人と反対する人が出てくる。

どちらの意見も大切で、

賛成はもちろん、反対意見にもためになる部分はあると思う。

そこは、大事だと思ったら聞き入れたらいいし、

反対派と積極的に討論するのも悪くない。

 

逆に、聞き入れたくない意見は聞き入れなくていい、

というのもアリだ。

それがどんなにいい意見でも、どうしても納得がいかず、

無視したいと思うのなら、無視してしまっても私は良いと思う

 

それを無視したことで起こるデメリットとしては、

①突き詰めるべきところを突き詰めないでいて、

 大事なところで失敗する

②「人の意見を聞かない勝手な奴だ」とレッテルを貼られ、

 人が離れていく

というところだろう。

 

ただ、これでも全く問題ない

例えば、①については、失敗した後に考えても遅くない。

人は失敗を繰り返して成長するのだから、

どんどん失敗すればいい。

あとは、自分の「失敗は恥ずかしい」というプライドとの闘いだ。

 

また、②は気にしなければ気にならないから、全く問題ない。

離れていった人が本当に必要な人だったと

あとから後悔するようなことがあっても、

それを考える時間が無駄。

その時間で、新たに出会う誰かを幸せにできるように

自分の生き方を見直したらいい

 

こうやって考えていくと、

「人生、何やっても正解」感がある。

あとは、自分がどう思うかだけ。

自分のプライドと相談して、

何は「やりたい」、何は「やりたくない」と

仕分けをしていけばいい。

 

疑問への答えだが、

人が離れていくことを気にする必要はないと思う。

離れていく分、出会う人がいるから、

「来る者拒まず、去る者追わず」でOK。

 

Q.「誰かを傷つけてしまわないか?」

 

A.自分がされても問題なければ、傷つけることはない。

  逆に今、誰のためにもなっていない、

  むしろ自分がされたら嫌なことを

  会社に強制されているのだとしたら、

  それはやるべきではない。

 

【解説】

誰もが小さいころに言われる

「自分がされて嫌なことは、人にするな」という言葉。

私はいまでも大事にしている。

人から嫌なことをされ続けてきて

ひどく傷ついた経験があるからだ。

 

約3年前、

かつての上司から

「人のことを考えろ」という正論を突きつけられながら、

逆に上司から私に対しては

嫌がらせともパワハラともとれる言動を繰り返されてきて、

善悪の判断がつかなくなっていた。

 

そんななか、事件は起こった。

 

取引先との交渉のなかで

私が

「去年もお金出してもらってるので、

 今年も出してもらえるかと・・・」

と発言。

(詳しい文言は覚えていないが、ニュアンスはこんな感じ)

 

すると、取引先は

「そんな話ありますか?

 去年も金出したから、今年も出せっていうのか?

 それもう、恐喝ですよね」と激怒。

私もそれを言われてはじめて

自分の発言のおかしさに気づくも、

「いや、その・・・」と何も言えず。

 

結局この話は、

その日のうちに

上司とともに謝りに行ったことで許してもらえたが、

いま改めて考えると、頭のおかしい話である。

 

そして、自分ではない何かに操られていたような気もした

その頃から、思ってもいないようなことを言ってみたり、

やりたくないことをやって

「なぜそれをやっているのか」と聞かれて何も答えられなかったり

という現象が相次いでいたが、

それはすべて、

上司を恐れるあまり

間違った忖度の仕方で

その場をやり過ごそうとしていたことが

原因だったのだと思う。

 

それが分かってから、

自分がやりたくないことは、極力やらないようにし、

「なぜやるのか」「なぜやらないのか」を

自分のなかで考えてから動くようにしている

 

ただ、「知覚動考」という言葉があるように、

まずは動くことが大事だという考え方も大事にしたいので、

動く前の考える時間はなるべく短く、

そこまでリスクのないものであれば

何も考えずに動くようにしている。

 

疑問に対する答えだが、

「なぜやるのか」「なぜやらないのか」を

明確にすることで、

人を傷つけるような言動はなくなっていくと思う。

誰かにやらされる人生ではなく、

自分で判断するように心がけると、

将来誰かを幸せにできる人間になるだろう。

 

 

まとめ

 

結局、自分のために動くことが

誰かを幸せにすることにつながっていく。

 

逆に、自分を犠牲にして、誰かに忖度して、

判断をしていると、

私のように

いつしか何者かに体を乗っ取られて

逆に人を傷つけてしまいかねないのだ。

 

 

この話に共感してくれたら、

「なぜやるのか」「なぜやらないのか」を

考えてみてほしい。

 

ちなみに

この話に賛成するか、反対するかも

あなた次第ですからね。

 

・・・都市伝説みたいなオチになっちゃいましたね。笑